部室に行くと、定位置に座る。
 ほら、やっぱりおかしい。自分の隣には、弥生がいるはずなのに。ここだけ、不自然に本が避けられているじゃないか。
 部屋の光景を見て確信する。やっぱり、自分は間違ってない。
「で、どういうことなの?」
 同じく、いつもの場所に座った菊が首をかしげる。
「あ、っていうか、お菊さん、授業……」
 ふっと我に返って問う。勢いで連れてきたが、あと十分もすれば朝のホームルームが始まってしまう。
「そんなひどい顔した後輩残して、授業なんか出ている場合じゃないでしょ」
 あっきれたと菊が続ける。
「ほら、これでも食べてちょっとは落ち着きなさい」
 と、チョコレートを何個か渡される。素直に一つ口にいれると、確かに少し落ち着いた。
「私の力が必要なんでしょ? 聞いてあげるから、話しなさい」
 ほら、と促されて、
「あの、信じられないかもしれないんですけど。あ、いや、お菊さんなら信じてくれるかなっていう気もするんですけど」
「能書きはいいから、はやく」
「俺……、怪異に遭ったんです」
 すべて、説明することにした。三人で見た呪いのピアノが本物だったこと。ミスが霊能力者だということ。尾行していた時に、へんな空間に入り込んだこと。深夜のバスケットボール。へんな影。お守り。潤一と皆子。
 話しながら、自分でもまとまりがないな、と思った。それでも、菊は余計なちゃちゃは入れず、真剣に話を聞いてくれていた。
「だから、本当にいるんです。俺の他にもう一人、一年の部員が。お菊さん、本当に覚えてないんですか?」
 すがるように尋ねても、
「ごめん、全然覚えてない」
 菊はゆっくり首を横に振るだけ。
「そんな……」
 絶対に、いたのに。弥生は、いるのに。
 自然と視線がうつむきがちになる。汚れた自分の上履きが目に入った。
「でも」
 菊の、どこか力強い言葉。
「透史がいるっていうなら、そうなんでしょうね」
 宣言するかのように言われた言葉に、ゆっくりと顔を上げる。
「いつも私の意見に流されるだけのあんたが、こんなに真剣になるっていうことは、イマジナリーフレンドとかじゃなくて、本当にいるんでしょ?」
「お菊さん……」
 ああ、そうだ。彼女なら、信じてくれると思ったのだ。この一風変わった部長ならば。
「透史」
 鋭く名前を呼ばれる。
「セオリー通りにいくのならば、葉月弥生を助けられるのはあなただけ」
「セオリー?」
「そう。だって、葉月弥生を覚えているのはあんただけなんでしょ?」
「たぶん」
「ということは、それは意味があることなのよ。彼女が助けを求めたのも、あんたになんでしょ?」
「はい」
「だから、あんたが助けてあげなさい」
 頷く。言われなくても、そのつもりだ。
「もちろん、手助けはしてあげる」
 言って菊は立ち上がると、黒板に近寄る。そこは以前、菊が七不思議の名前を書いたままだった。
「三隅美実は仕事で、お祓いで転校してきたって言ってたのよね?」
「っていう、話だと思います」
「彼女が転校してきた時期と、私たちが七不思議の調査を始めた時期って、だいたい一緒なのよね」
「……確かに」
 自分たちが今の活動を開始したのは、三年が引退した文化祭後。その少し後に、ミスが転校してきている。
「私ね、七不思議をテーマに部誌を作るっていったじゃない? あれって別に、ただオカルトだからってだけじゃないの」
 軽くおりまげた左手の人差し指を口元に当て、何かを考えるような間をとりながら菊が続ける。
「もちろん、入学してすぐにこの学校の七不思議については調べていたわ」
 ぶれない人だ。
「でもその時は、あんまり芳しくなかったのよね。みんなぽつぽつと、それっぽいことは知ってるけどって感じで。ああ、屋上さんだけは割とみんな知ってたけど、それはおまじないとしてだし」
「はあ」
「でもね、文化祭辺りから、七不思議のリアルな噂を聞くようになったの。友達の友達が見たんだけど、みたいなやつだけどね。でも、そのレベルの話も、去年は聞かなかったのに」
「……七不思議が、本当にリアルな怪異として活動していた?」
 怪異に活動っていう言葉があうのかはわからないが。
「そんな気がするのよね。人面魚とかが本当だったかはわからないけど、少なくとも呪いのピアノと、深夜のバスケットボ’ールは本当だったのよね? だったら、他のも本物で、見かけた人が本当にいて、噂になっていたと考えた方がスムーズな気がする」
 七不思議が本物で、噂になっていて、その少し後にミスが転校してきた。ということは、
「ミスの目的は、七不思議?」
「って考えるとしっくりこない?」
 確かに、今あるピースが全部はまる気がする。っていうことは、
「弥生は、七不思議に関係している?」
「たぶんね」
「お菊さん、それって……」
「残っている七不思議で該当しそうなのは、これよね」
 黒板に書かれた一つの文字列を指差す。
「招かれざる、生徒」
 それは、確か、
「屋上さん、でしたっけ?」
「そう。おまじないはね。ちゃんと説明したっけ?」
「あんまり。というか、すみません、ちゃんと聞いてませんでした」
 小声で謝ると、一瞬菊がいつものよう睨んできた。それでも、すぐに真剣な顔に戻ると、
「うちの学校には毎年一人、名簿には載っていない生徒がいる。別に、そのかわりに誰かが死ぬとか、そんな怖いものじゃないわ、うちの七不思議は。本当にただ、一人生徒が増えるだけ。普通に学校生活を送るっていうだけの、比較的無害なものね」
 菊の言葉を、反芻する。
「それって……弥生が、七不思議ってことです、か?」
 恐る恐る問いかけると、菊は珍しく痛ましそうな顔をして、一つ頷いた。
「そう考えると、しっくり来ちゃうのよね」
 さっきとは違って、少し忌々しそうな口調だった。
 そんなことあるわけない。弥生は風に自分と学校生活を送っていた、普通の女の子だった。そう思う一方で、そういう怪異なのだと菊が言ったじゃないか、と心のどこか冷静な部分で思う。そうだ、自分は、弥生の中学も知らない。家の場所も知らない。チャリ通なのか、電車なのかも知らない。学校の外の、葉月弥生を知らない。
「……そんな」
 思わずつぶやく。でも、口では疑っていながら、心では納得していた。それなら全部、説明がついてしまう。
「……助けるの、やめる?」
 そっと、顔を覗き込むようにして菊が効いてくる。
「それとこれとは、話が別です」
 慌てて首を横に振った。弥生が七不思議だったとして、あの子が人に危害を加えない優しい子なのを知っている。入学してから今日まで、ずっと一緒にいたんだから。
 弥生が七不思議なことは、いなくなった彼女を探さない理由にはならない。
「そう、さすが、私の後輩」
 にっと菊が悪戯っぽく笑う。
「お菊さん的には……いいんですか? 後輩が一人、七不思議で?」
「あら、何の問題があるの?」
 心底不思議そうに問われて、ああそうだった、この人はこういう人だったと思い直す。
「いえ、愚問でした」
「でしょう? それに、忘れたままって気持ち悪いから」
 だから、透史と菊は勝気な笑みを浮かべた。
「取り返してきてちょうだい。うちの部員を」
 ネイルの目立つ指で、黒板の文字を軽く叩く。
「うちの部はね、怪異の味方なのよ。人に害をなさないなら、余計にね」
 そうして、幽霊の声を聞くという意味の名前を持つ部長の言葉に、
「はい!」
 一人記憶のある透史はしっかりと頷いた。