放課後。
「さぁ! 今日こそ! 死者の声を聞くわよ!!」
 と、文芸部の部室で高らかに宣言したのは、お察しのとおり、工藤菊であった。
「呪いのピアノと死者の声、関係ありますか?」
「呪いのピアノで殺された死者の声よ!」
 絶対に聞きたくない。
 イマイチどころか、まったくやる気のないまま、半ば腕をひかれるようにして菊、弥生と三人で第二音楽室に向かう。
「ついたらとりあえず写真をとって、それで透史、弾いてみてよ」
 菊が楽しそうに言う。
「なんで俺がっ!」
 最悪死ぬのに。信じてはいないけれども、死ぬといわれているものを好き好んで弾きたいとは、まかり間違っても思わない
「っていうか、弾けませんよ、ピアノなんて」
「猫ふんじゃったでいいって。それぐらいならできるでしょう?」
「雰囲気でねー!」
 猫ふんじゃった弾いたことが死因って絶対嫌だ。せめて、もうちょっとおしゃれで、それっぽい曲で死にたい。
「あれ、お菊部長、ピアノ習ってるんじゃ?」
「うん、習ってるー。けど、弾きたくなーい」
「弾いてくださいよそこは」
「だって、自分が呪われちゃったら、呪いの効力確かめられないじゃん」
「我が侭!」
「死んだら記事を書けないんだよ!」
「仮に俺が死んだら部活動中止ですよ!」
「先生がそんな因果関係認めないよ」
「不条理!」
 などとわいわい言いながらも、問題の第二音楽室に近づいていく。
「……あれ?」
 最初に気づいたのは弥生だった。
「ピアノ……」
「え?」
「あ、ほんとだ」
 どこからともなく、ピアノの演奏が聞こえてくる。
 なんとなく立ち止まって耳を澄ます。
「これは……、リストのラ・カンパネラ?」
 菊が小さく呟く。クラシックに疎い透史にはまったくわからないが、習っているだけあって菊はすぐ曲名がわかったらしい。
「ってかこれ、マジで超難しい曲だよ。誰が弾いてんの?」
「お菊部長、ピアノにも詳しいんですね。お化けの話だけじゃないんですね!」
 弥生のやつ、さり気無く今バカにしたな。
「で、これどこから?」
 三人の視線が音のする方に向かう。
 まあ、ピアノの音がするなんて、ピアノがある音楽室しかないわけだけれども。
 ゆっくりと歩みを進め、手前の第一音楽室の前を通る。
 音はもっと奥から聞こえる気がするが、念のためドアをあけてみる。
「……誰もいない」
「っていうことは」
 三人の視線が、さらに奥にある第二音楽室に向けられた。
「……誰かが、呪いのピアノ弾いちゃってますけど」
 菊に視線を向けると、さすがに予想外だったのか、菊も困ったような顔をしている。
「……とりあえず、行ってみる?」
 第二音楽室に向かう。
「これ、ドアあけてピアノ弾いている人がいなかったらどうしよう。それか幽霊とか」
 困るよねーとか言う菊の顔は、ちっとも困っていない。寧ろわくわくしている。
「はいはい」
 適当にあしらいながら、第二音楽室のドアの前。音は確実にこの中からしている。
 ドアに手をかける。
「あけますよ?」
 確認すると女性陣二人が頷いた。透史の陰に隠れるようにして。
「……葉月さんはともかく、お菊さんは隠れないでくださいよ」
 死者の声聞くんだろ。
「いいから」
 顎で促されて、しぶしぶ、そっとドアをあける。
 なんとなく怖くて、まず小さくあけた隙間から覗くと、誰かがピアノを弾いていた。よかった、とりあえず人はいた。
 黒くて長い髪がかすかに揺れている。
「え、なんであの子セーラー服なんか着てるの。まさか、幽霊!?」
 背後で菊がバカなことを言っている。
 黒いセーラー服。それの持ち主は一人しか心当たりがない。
「違いますよ」
「うちのクラスの転校生です」
 ピアノを弾いていたのは、ミスだった。
 白い指が、鍵盤の上を踊る。
 長い睫毛がそっと伏せられている。
 優雅に、だけれどもどこか物悲しく奏でられる音楽。
 扉を開け放つタイミングを、部屋に入るタイミングを完全に見失い、三人で小さくあけたドアの隙間から、演奏するミスを眺める。
 魅入られる。
 たっぷり一曲弾き終わり、誰ともなく息を吐いた。
 ミスは一息つくと、ドアの方を見た。
「何をしていらっしゃるの?」
 顔色一つ変えず、尋ねてくる。
 げ、バレてた。
「あなた、それ、呪いのピアノなのよ!」
 部屋に入るタイミングを得て、意気揚々とドアを開け放つと、菊が部屋に乗り込んだ。
「あ、ちょ、お菊さん」
 物事には順番ってものがあるだろう。
「死ぬわよ!」
 なんか霊能力者みたいになっているよ。ズバリ言いそうだよ、古いよ。
「呪いのピアノ、ね」
 ミスが小さく呟いて、軽く鍵盤に触れる。ぽろん、っと音がこぼれ落ちた。
「ただのピアノだけど」
「一見ただのピアノなのに、実は呪いのピアノだって言うところに怖さがあるんじゃない! 見た目からして呪いのピアノだったら全然怖くないじゃない」
 見た目からして呪いのピアノって、どんなだ。血だらけとか? 怖い怖くないとかじゃなくて、そんなの触りたくないだろ。
 あのね、と呪いのピアノについて語り出しそうになった菊の肩を押して、そっと後ろに下がらせる。これ以上この人に喋らせると、話がややっこしくなる。
「ちょっと透史!」
「はいはいお菊部長、あたしが聞きますからー」
「もー、弥生やさしー」
 幽霊バカのことは弥生に任せるとして。
「ええっと、この人のことは無視していいんで。三隅さん」
「……なんで私の名前」
「同じクラスなんで。あ、石居透史です」
「そうなの」
 興味なさそうに呟かれた。っていうか、今日こっち見ていただろ。あれ、見ていたけど見てないのかよ。ちょっと悲しいだろ。
「なんで、ピアノを?」
「なんとなく」
「……そうですか」
 会話が、広がらない。
 ミスはピアノの鍵盤をそっとひと撫ですると、その蓋を閉めた。
「あ、あのミス」
 とりあえず何か言おうと名前を呼び、これは渾名だったと慌てて、
「みさん」
 付け加えた。ミスは無表情で透史を見ると、
「影でなんて呼んでも構わないけれども、直接呼ぶのはよしてちょうだい」
 冷たく告げられた。
「……はい、すみません」
 思わず敬語になる。
「それじゃあ」
 それだけ言うと、透史の返事もまたずに、音楽室の外へでる。
「あ、ちょっと貴方!」
 菊が呼ぶがそれもスルー。
 そのまま振り返ることもなく、すたすたと歩き、廊下の角に消える。
 それを呆然と見送り、透史は一つため息をついた。一体なんだっていうんだ。
「なによ、あの子!」
 ほら、うちの部長が怒っているじゃないか。呪いのピアノどころじゃなくなって。
「色は白いわ、髪は黒くて長いわ、幽霊みたいじゃない! 写真撮りたかった!」
 そっちかよ。ってか失礼だな!

「おっはよー、いっしいくーん」
 三日後、いつものように教室に入って来た弥生は、いつものようなじゃれ合いをすることもなく、
「ニュースニュース。倒れてた音楽部の人達、回復したらしいよ」
 仕入れて来たばかりの情報を、喋りたくて仕方がないようすで告げた。
「おーよかったなー。でも急だなー」
 今井が笑う。
「ねー? 急だよねー。あと、あまりにも音楽部が怖がるから、先生が第二音楽室のピアノを長々と三日ぐらい? 弾いたんだけど、特に異常はなかったって」
「んー、だからやっぱり偶然だったんだよ、体調不良」
「そうかなー」
「そうだよ。なぁ、石居?」
「ん、ああ」
 透史は突然水を向けられて、焦って頷いた。
 三日前、ミスがピアノを弾いていた。
 ちらりと、ミスを見る。
 今日も変わらず本を読んでいた。
 偶然、だよなあ?