第七章 小言と決意


 円の従弟、一海直純が二人を迎えに来た時には、既に日がのぼっていた。
 助手席に座った円は、大きくため息をつく。
「お小言言わない分家の誰かが迎えに来てくれると思ったのに」
 円に遠慮なく意見を言える従弟がきたのでは、このまま家までお説教コースまっしぐらだ。
「女王陛下と賓客の迎えなんて、皆恐れ多いって嫌がるって」
「賓客ねぇ……」
 賓客と呼ばれた隆二は、後部座席で腕組みして目を閉じている。また狸寝入りだろう。
「ってか、なんであんた免許取っちゃったのよ。都内住みなら免許要らない、とか言ってたじゃない」
 免許がなければ、迎えに来ることもなかったのに。
「前言撤回。双子を育てるには都内でも免許必要」
 一年前、男女の双子の父親になった彼は、サラッと答えた。
「ああ、そう……」
 跡取り候補ができたのは喜ばしいが、この変化は困る。
 円のボヤきをどうとらえたのか、
「……円は結婚しないの?」
 こちらの顔色を伺うようにして尋ねてくる。
「はぁ? 自分が可愛い奥様と子供がいるからって調子乗ってない?」
 窓の外を眺めていたが、その言葉には思わず視線を直純に向けさせる威力があった。
「あのね、本気で言ってるの。翔くんと、結婚しないの?」
「正気? できると思うの?」
 よりにもよって巽翔だ。両家の仲違いをどうにかするところから、始めないといけないというのに。
「円は余計なお世話って言うだろうし、現実そんなに上手くいかないだろうけど」
 直純は前を見て運転したまま、言葉を慎重に選びながら発言する。
「望むなら一海のことは俺に任せて、巽に嫁入りするっていうのもありだと思うよ」
「なんで私が嫁入りするのよ」
「翔くんが一海に婿入りするよりは現実的だろ」
「まあ、あっちは翔くん以外いないものね。視える、程よい年齢の、血筋の濃い人間が」
「一海には俺もいるし、うちの子たちもいるしさ」
 確かに、自分である必要はないのかもしれない。次の一海を束ねるのは一海円でなくとも、この冷静な参謀タイプの従弟でもいいのかもしれない。一海を離れ、愛に生きるのも、不可能ではないのかもしれない。だが、
「無いわー。ないない」
 その道は選ばない。選びたくない。
「無いかなー。ワンチャンある気がするけどなー」
 円の無いは、心情的にやりたくないだったが、直純はそれを実現可能性がないと受け取ったようだ。残念そうな声を出す。あえて、それを否定することはしなかった。
「ってか、どうしたの急に」
「いやさ、円が翔くんと付き合い出した時から、うっすらと考えてはいてさ。みんながみんな、自分のやりたいことができるわけじゃない。将来の夢を全員が叶えられるわけじゃない。そうだとしても、家のせいで諦めなければいけないというのは、ちょっと違うんじゃないかと思うんだ」
「へー、意外なことを言うわね。本当はなんかやりたいことあったの?」
 この男は、小さいころからずっと、一海の跡取り候補として、考えて動いていた気がする。跡取りが正式に円に決まった後も、一海の人間として円を補佐する立場を崩そうとしなかった。
「ないよ。一海が大切だった、子供の頃から。だからこそ、思うんだ。他の道を考えないようにしていたんじゃないかという疑いは、俺の中では一生消えない」
 ああ、なるほど。真面目なこの男らしい。一つの道をまっすぐに歩いてきて、通り過ぎてきた脇道が、今更ながら気になったのだろう。歩いてきた道が、間違っていなかったと知っているからこそ。
「円だって、パティシエになりたいとか、言ってなかったか?」
「言ってたわねー。子供の頃ね」
 お菓子作りは昔から好きだったし、得意だった。今だって、そこそこお金が取れるレベルのものを作れる自信はある。中学の時に亡くなった母との、数少ない思い出の一つがお菓子作りだった、というのもある。
 でも、高校に入る時にはその話をするのはやめた。自分はならない、と思ったから。憧れはあった、それでもパティシエには、ならないと思った。なれない、ではない。
「パティシエもね、なろうと思えばなれた。まあ、技術的なものもあるから、なれたっていうと偉そうか。でも、私の性格なら一海の仕事と、その手の学校に通うことを両立できた。少なくとも目指せた。でも、やらなかった。だから、多分、そういうことよ」
 円にとっても、一海という家が大切だったのだ。昔も、今も。
「……そっか、変なこと言ったかもな。ごめん」
 ちらりと直純がこちらを見る。
「いいわよ、別に。気ぃ使ってくれて、ありがとね」
 円のことを考えてくれていたこと自体は嬉しい。
「まあ、うちの子も視えるのかどうかはわかんないし、継ぐかどうかはあの子たちが決めればいいと思ってるけど」
 幼い子供の霊視能力は当てにならない。小さいうちは視えても、大人になるころには、無くなっていることも、多々ある。
「正直、年々血筋による霊視能力が遺伝しない人間が増えているし、いつまでも家柄にこだわってるとジリ貧だと思うんだよねぇ」
「ま、それはそうね」
 円たちの代でも、霊視能力が弱く、仕事がこなせずお荷物扱いされている青年がいる。今では医者となって、医療とオカルト分野の架け橋となろうとしてくれているが。
「だから、俺としては一海という家から、多少なりとも脱却することを考えていくべきだと思うんだ。俺らの代では無理でも、孫の代ぐらいではそっちの方向に舵切ってるようにしたいなーと思ってるわけ、俺は。調律事務所のことも、完全に諦めたわけじゃないし。円もそうでしょ?」
「それはねー、そうだけど」
 三年前まで、円たちが開いていた事務所。怪異と人間の共存を目指して動く、組織。とある事情から閉めることになってしまったが、怪異と人間との間を調律する、というコンセプト自体を諦めたわけではない。
 それが、この従弟も一緒だと知って、少し嬉しくもなる。だが、
「で、だから円が望むなら結婚すればいいと思うし、そのために俺にできることはするよ、っていう提案なわけ。さっきのは」
 なぜ、その話を蒸し返すのか。
「謝ったくせに、またその話するの?」
「せっかく付き合ってるのに、円が未来を見据えた行動をとらないから、こっちは不安なんだよ。必要なら、頼って欲しいわけ。それとも」
 直純の視線がこちらを向く。
「俺、そんなに頼りない?」
 まっすぐに見つめられた瞳が気まずくて、そっと視線を逸らす。
「頼りにしてるわよ、それは本当に。でも、それはそれとして」
 そう答えたが、直純が納得していない気配を感じる。
 言ってしまえばいいのだろうか。子供が産めないから結婚するつもりは現状ないということを、この従弟に。頼りにしているのなら。
 だが、彼はきっと過去の自分の失態に烈火の如く怒るし、そして自分よりも傷ついた顔をするだろう。それは避けたかった。
 「子供が産めない」という事実が自分の立場を危うくすることも残念ながらわかっていた。古い慣習が残るこの家で、子供が産めない跡取り娘の価値は目減りする。それを補う実力は、つけてきたつもりだが。
 まだダメだ。まだ何も成し遂げていない。まだこの椅子からは降りれない。譲れない。たとえ、信頼しているいとこにでも、この座は渡さない。
 女王陛下は、私だ。
「なあ、円」
「……賓客を前にそんなぺらぺらと家の事情話してていいのか、あんたらは」
 直純が何か言いかけたのを、面倒くさそうな隆二の声が遮った。
 後ろを振り返ると、隆二が呆れたような顔をして、目を開けていた。
「あれ、神山さん。起きたの?」
「そんだけ、ぴーちくぱーちく言ってるのに寝てられるか」
 軽い調子で声をかけるが、円は内心で驚いていた。タイミングが、あまりにも良すぎる。子供の話もしたところだ。もしかしてこの人は、庇ってくれたのだろうか?
「起こしてしまってすみません、神山さん」
 直純がバカ丁寧に謝るから、
「気にしなくていいんじゃない? この人、いつも狸寝入りよ」
 本気で寝るほど、こちらを信頼していないはずだ。
「狸寝入りっていうか、じっと座ってるのが苦手なんだよ」
「え?」
 驚いて隆二の方を見る。どこかバツの悪そうな顔で、
「車、苦手で。昔轢かれたからかなーとは思ってるんだが」
 てっきり、警戒しているのだと思っていた。だがどうやら、そこまで考えていたわけではないらしい。
 わかっていたつもりだったが、まだ自分は神山隆二のことをよく知らない。その事実を突きつけられる。だがまあ、仕方ない。急ごしらえのバディだ。必要なことはこの先、知っていけばいい。
 そう考えて円は少し笑うと、視線を前に戻した。
「なんか、楽しそうだな」
「そう?」
「そういえば円、あの車、買い換えたばかりじゃなかった?」
 直純の言葉に、嫌な現実が一つ蘇ってきた。とりあえず、レッカー移動を依頼はした、自分の愛車。
「そうよ、あー、ほんっと嫌になる。また父様に怒られる」
「いや、怒られるとかそういう問題か?」
「そうだ、怒られるといえば、沙耶も真緒ちゃんも、今一海にいるから。このままご対面だね」
 直純が歌うような口調で、楽しそうに言う。
 それを聞いて、大人になれない相棒たちの顔が固まった。
「降ろせ、自力で帰る」
「高速なんだから降りないでよ」
 隆二がドアに手をかけようとするのを、呆れたような直純の言葉が引き止める。
「しかも、そんな破れて血の跡がついた服じゃ、職質されるよ。二人とも俺の言うことなんか聞きやしないんだから、叱られて困る人から叱られな」
 隆二は何か言いたげに不満そうな口を開いたが、言い返す言葉が思いつかなかったらしい。
「もういい、寝る」
 と告げ、後部座席にその身を横たえる。
「いや、シートベルトしててよ。俺が捕まる」
「私も寝るー」
 円も言って、座席を倒す。助手席側に頭を置いていた隆二は、
「椅子倒すなよ」
 文句を言う。
「いや、じゃなくって、ちゃんと座ってて。マジで」
 ぶーぶー文句を言っていたが、結局助手席と後部座席、それぞれシートベルトをきちんとした状態で目を閉じた二人からは、やがて寝息が聞こえてきた。なんだかんだ言って、疲れていたことは事実なのだ。
「お疲れ様、二人とも」
 直純は少し微笑み、小さな声でねぎらった。